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2024.8.19 07:00ゴー宣道場

「光る君へ」と読む「源氏物語」第16回 第十六帖<関屋 せきや>byまいこ

「光る君へ」と読む「源氏物語」
第16回 第十六帖<関屋 せきや>

 

「光る君へ」第18回、筑前守(ちくぜんのかみ 筑前国の長官)兼大宰の少弐(だざいのしょうに 大宰府の次官 大弐の下に位する)だった宣孝(佐々木蔵之介さん)が任期を終えて四年ぶりに京に戻り、為時(岸谷五朗さん)の邸を訪れていました。「宋のものなら手に入るぞ。これは宋の国の薬で、切り傷に驚くほど効く。大宰府では、この薬でボロ儲けした。国司(こくし 地方行政官)の旨味を味わい尽くしたわ」と言いつつ、唐物の紅をまひろに贈れたのも、国司の立場を利用すれば、交易で私腹を肥やせるということ。

さらに第24回は、宋の商人からの越前での交易を求めに「大宰府では藤原が交易の旨味を独り占めしておるゆえ、越前を朝廷の商いの場とすればよい」という一条天皇(塩野瑛久さん)に対して、「それは、危のうございます。越前と京は近こうございます。万が一、宋の軍が越前に押し寄せ、京に攻め上りでもしたならば、一たまりもありませぬ。宋との正式な商いとなれば、かの国は我らを属国として扱いましょう。そのようなことこそ、断じて許してはならぬと存じます」と、道長(柄本佑さん)は現状に即した公の視点から応じていました。

一条天皇は道長に采配を任せた上で、「越前の唐物の中に、おしろいと唐扇があれば中宮のために求めたい。それだけは差し出させよ」と私情にとらわれた発言をしていました。これは史実のようで、宋の商人・朱 仁聡(ヂュレンツォン 浩歌さん)をウィキペディアでみると「長保2年(1000年)、皇后藤原定子の使いが前年に唐物を購入した代価を敦賀津まで持参したが、既に同地を去りおそらく大宰府へ移動していたため未納となっていた。ここで8月24日に、皇后に献じた雑物の代金が未払いになっていると訴えを起こし、この対処で12月16日に中宮亮(しゅうぐうのすけ 后妃に関する事務などを行う中宮職の次官)高階明順(定子の伯父)が召喚されている。」とあります。

宣孝や、まひろの父・為時が受領に任命された後に道長に挨拶に行っていたのは、任官には有力貴族の推挙が必要ということ。光る君は父・桐壺院が亡くなって勢力が衰えていた時期に、任官させてもらおうとする人が少なくなって、寂しく感じていましたね。「大宰府では藤原が交易の旨味を独り占め」とは、有力貴族に推挙された受領が任地で交易をして得た利益を賄賂として納めていたと考えられます。

今回は、光る君を主筋としていた受領の妻が、再び登場します。

 

第十六帖 関屋<せきや (関所の建物 ここでは山城国と近江国の国境、現在の滋賀県・石山寺の近くにある逢坂の関)  

光る君を拒み通したあの空蝉の夫は、桐壺院が亡くなった翌年に常陸介(ひたちのすけ 常陸国の次官)となり、任地に妻の空蝉を伴っていました。光る君が須磨から京に帰ってきた翌年の九月、常陸介は帰京することになります。石山寺に願ほどきに出かけた光る君は、逢坂の関で任地から帰る途上の常陸介一行に出くわしました。

光る君の参詣の行列を通すため、常陸介一行の車は杉の木陰に控えます。十台あまりの車の簾の下から見える衣の袖口の色合いは田舎びておらず風情があり、光る君は、かつて小君といった右衛門佐(うえもんのすけ 警備、巡察などを担当する衛門府の次官)を呼び寄せて、姉の空蝉に「今日、逢坂の関まであなたをお迎えしたことを、お見捨てにはならないでしょう」と伝えさせました。空蝉も、人知れず昔のことを忘れられずにいたので、心動かされ、ひとりで歌を詠みました。

行くと来(く)と せきとめがたき涙をや 絶えぬ清水と人は見るらむ 空蝉
逢坂の関を行く時も来る時も せきとめがたき私の涙を 絶えず溢れる関の清水と あなたは思うのでしょう

*清水 関の清水 逢坂の関の付近にあった清水

光る君が石山寺から帰る際に、右衛門佐は参上し、逢坂の関で御供しなかったお詫びなどをします。昔は、光る君に可愛がられ、五位の位階までもらっていたのに、思いがけないあの騒ぎ、須磨への隠遁の際は世間の評判を憚って、右衛門佐は常陸に下っていたのでした。光る君は、右衛門佐に対して少し心に隔てを置いていましたが、色にも出さないようにして、昔のようではないにしても、親しい家人(けにん 貴族に仕える家臣 家来)のうちには数えています。

常陸介の息子で、紀伊守(きいのかみ 紀伊国の長官)だった者も、今は河内守(かわちのかみ 河内国の長官)になっています。河内守の弟で、右近将監(うこんのぞう 右近衛府の第三等官 従六位上)を辞めて須磨に御供した者を、光る君はとりわけ引き立てたので、「どうして少しでも、時世におもねってしまったのだろう」と思い起こす人も多いのでした。

光る君は右衛門佐を呼び出して、空蝉へ文を遣わします。

わくらば(邂逅)に 行きあふみちを 頼みしも なほかひなしや 潮ならぬ海 光る君
近江路でのめぐり逢いを頼みにしても やはりかい(甲斐・貝)もないのですね 潮ならぬ海・琵琶湖は

逢坂の関や いかなる関なれば しげきなげきの なかを分くらむ 空蝉
逢坂の関は いかなる関なのでしょう 茂る草木のなかを分けるほどの 深い嘆きを重ねるなんて

そうこうしているうちに、常陸介は老いて病がちとなり、心細くなったので、息子たちに「万事、空蝉のしたいようにさせて、私が生きているときと変わらずに仕えておくれ」と明け暮れに遺言するのでした。

「情けない宿世で後妻となったのに、この人にまで先立たれたら、どんなに落ちぶれてしまうだろう」と空蝉が嘆いているのを見て、常陸介は「命は限りあるものだから、惜しんでもどうしようもない。どうにかして、この人のために魂を残しておけないものか。息子たちの心もわからないのだから」と気がかりでしたが、とうとう亡くなってしまいました。

しばらくの間は「父君が仰っていたので」などと、義理の息子たちは、いかにも親切そうに振る舞っていましたが、上辺はそうであっても、空蝉には辛いことが多くなってゆきます。河内守は、昔から空蝉に好き心があって「遺言ですから、数ならぬ私でも疎まずに、どんなことでも仰ってください」と追従してきましたが、だんだんと下心が見えてきました。

「情けない宿世で夫に先立たれ、挙句の果てに浅ましいことを、義理の息子から聞かされるなんて」と、人知れず思い知った空蝉は、誰にも告げずに尼になってしまいました。女房たちは嘆き、河内守は「私を厭われたのですね。まだ先も長いのに、どうやって暮してゆかれるのでしょう」と言っているのを、つまらぬお節介と世間では噂しているようです。

 

***

 

紫式部本人をもっとも反映していると言われる空蝉が再登場、石山寺の近くの逢坂の関で光る君と邂逅し、忘れえぬ思いを溢れさせました。「光る君へ」第27回、石山寺での道長とまひろの再会は、月明かりに照らされた朧月夜との密会や、明石の君との懐妊にいたる逢瀬とともに、空蝉との儚いやり取りも合わせて描き込まれていたように思います。

第二帖「帚木」のラストで、光る君が空蝉の身代わりとして、傍らに寝かせていた弟の小君も再登場。少年愛の対象という見方もできていた人物は、時流におもねって光る君から離れたにも関わらず、姉のお陰で、ちゃっかりと家人に数えられていて、その飄々とした生き様は、まひろの弟・惟規(のぶのり 高杉真宙さん)も髣髴とします。

空蝉に出会ったときは、光る君は17歳。石山寺近くで再会したときは、29歳になっているので、実に12年に渡る関係。翌年の18歳で出会った末摘花のことも世話をしている光る君は、浮気ながら、女性への想いが持続するタイプでもあるようですね。

藤壷、六条御息所に続いて、空蝉が出家を遂げました。義理の息子に言い寄られて髪を下ろすのは、光る君と藤壺の関係の雛型のよう。

空蝉の夫が赴任していた常陸国は、大国(国力に応じて分類された大国、上国、中国、下国に四等級の最上位)で、親王任国(しんのうにんごく 親王に財源と官職を与えるための制度 親王は任地には行かず、実務上の最高位は、常陸国の場合は次官の常陸介)。車を十台も連ねて帰京できるほどの威勢を持っていた常陸介は、「光る君へ」の宣孝のごとく「国司の旨味を味わい尽くした」はず。

それでも、夫の常陸介の死後、空蝉がたちまち不安定な立場になるのは、父親の常陸宮の死後、末摘花が生活もままならなくなった状況のシークエンスのように感じます。「平安時代の夫婦は別財産」で、空蝉は倫子(黒木華さん)のように、自分の財を持っていなかったのでしょう。

まひろが、宣孝の死後に、和歌を教えたり、女房として仕えることになるのは、自分の財を持っていない場合に生き伸びる手段・①人の世話になる≒結婚、②女房として仕える≒就職のうち、②を選び取ったということになると思います。

空蝉がはじめに選択した③髪を下ろす=出家も、俗世との縁を断ち、華美な生活にはならないので、自分の財を持っていない場合に有効のようにも思われるのですが、尼僧の瀬戸内寂聴さんは、「出家をしたい」という女性の相談を受けて「お金がかかるから止めておきなさい」と応えておられました。

「枕草子」第74段には、「夜は誰とか寝む。常陸の介と寝む、寝たる肌もよし」などと謡いながら尼僧の姿で物乞いをする女性も描かれています。出家したとしても、身過ぎ世過ぎ、後ろ楯を失った後、生計を立ててゆくのは、古今、大変なのかもしれません。

幸いなことに空蝉は、後に末摘花と同じように光る君の改築した二条の東の院に移り住みます。受領たちからも莫大な財の集まっているはずの光る君の世話を受けられる空蝉は、亡き夫・常陸介に手を合わせつつ、尼僧として心穏やかに過ごしてゆけることでしょう。

さて、「光る君へ」は、安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)の「今、あなた様のお心の中に浮かんでいる人に会いにお行きなさいませ。それこそが、あなた様を照らす光にございます」という示唆や、藤原公任(町田 啓太さん)の妻の開く学びの会での評判を聞いて、道長がまひろのもとを訪れ、いよいよ「源氏物語」が誕生します。

大河ドラマのタイトルロールとなっている光る君とは、誰なのか。「源氏物語」での光る君のモデルは、これまでも一条天皇、道長、公任、伊周、源高明、在原業平などを御紹介してきました。「光る君へ」の道長にとっての光る君は、安倍晴明の「あなた様を照らす光」という台詞から、まひろということになりそう。そして空蝉のように夫を亡くし、さらに「カササギ物語」を焼失したまひろにとっては、道長のもたらした「物語を描く」機会こそが、光になってゆくのでしょうか。

 

【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>
第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
第9回 第九帖<葵 あおい>
第10回 第十帖 < 賢木 さかき >
第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>
第12回 第十二帖<須磨 すま>
第13回 第十三帖<明石 あかし>
第14回 第十四帖<澪標 みおつくし>
第15回 第十五帖<蓬生・よもぎう>

 


 

 

なんだかんだ言っても、女性に対して長年にわたって面倒見ているということばかりではなく、男に対しても、自分が逆境の時に離れていった者がちゃっかり戻ってきても許していたりするあたりが、光る君って憎めない人だなあと思いますね。

さて、『光る君へ』では、ついに『源氏物語』の執筆がスタート!
しかもあの第一帖が、一条天皇とそうつながっていたのか~!というのには驚き、見事だと思ってしまいました。
この物語がどのような光となるのか、それとも嵐を呼ぶのか、先が楽しみです。

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